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絵描いてる人のメモ帳です。諸般の事情により現在一時停止中。

【メモ】テラケイ氏(@terrakei07)のバーチャル・ユーチューバー論「魂を縛る檻を壊せ」を読んだ

 テラケイ氏のバーチャル・ユーチューバー論を読んだ。私がこれまで考えてきたところと符合するところも多く、興味深く面白いものであった。本当は色々気になるところもあるのだが、ちょっと訳あって今忙しいのであまり深く考える時間もない(無職なのにへんだね)。ただ、やや気になる点があったので、単なる覚書きに過ぎず、さほど示唆的なものでもないが、文章に残しておこうと思う(テラケイ氏のnoteは有料記事なので、論旨の説明に必要な範囲でのみ引用する*1)。なお、私はVtuberとかそういったことにそれほど詳しい人間ではないので、以下の文章には事実誤認等がありうる、ということは先に述べておく。

 

 

魂を縛る檻を壊せ――白饅頭のVtuber/VRアバター評|白饅頭 @terrakei07|note(ノート) https://note.mu/terrakei07/n/nf7fde968aec4

 

テラケイ氏の議論 

 昨今、3DCG等を用いたアバターを利用して実況配信を行うユーチューバー(バーチャル・ユーチューバー。以下、単に「Vtuber」と表記する)が増加している。こうしたVtuberブームについて、テラケイ氏は「なぜ生身の人間ではなく、あえて「バーチャル」な存在として登場したキャラクター性がここまでウケたのだろうか」と問題提起したのち、次の通り述べる。

Vtuber、VRアバターの普及は、人間のあり方、あるいは人間性そのものに、ひょっとしたら巨大な革新(カタストロフィー、とルビを振りたいくらいだ)をもたらすかもしれないとまで考えている。

 こうした仮想現実・仮想人格コンテンツの勃興は、長年言語化できずため込んでいたさまざまな思考を一気に解きほぐし、人間の存在価値そのものの根源的な問いを導出してくれた」。

※太字強調は引用者の手による。以下同じ。

 

 テラケイ氏によると、こうしたバーチャルな存在性に自分を仮託するのは、「『かわいい自分になった世界』を、ゼロベースでスタートできるから」だという。つまり、ユーチューバーとして活動するためには、例えば声付き実況・顔出し実況といった形で我々の肉体を利用する必要があるのだが*2、我々の肉体は往々にして不要な情報まで受け手に与えてしまう(もっともわかりやすい例が容姿だろう。我々は自他の容姿の良し悪しが気になって仕方ない生き物である。いわゆるジェンダー・ロールの問題もここに含まれるだろう)。しかし、バーチャル・アバターに我々の肉体を代替させることで、我々の肉体が放つ不要な情報を排除しつつ、アバターの可愛らしさといった心地よい情報を存分に表現することができる*3*4

 

 テラケイ氏は、そうしたVtuberとしての特性こそ、ユーチューバー自身にとって、そして視聴者にとって都合の良いものであったと主張しているようだ*5。そして、こうした要素が現在のVtuberブームの底流にあるのではないか、と指摘しているようである。

 

 そして、(ここからが重要な点なのだが)上述したVRアバターに自己の肉体を代替させることの意味について、さらに掘り下げて次の通り述べる。

「自分の姿が、むさ苦しいものであること。美しくもかわいくもないこと。異性からは、かりに何もしていなくても場合によっては不審なものとしてみなされること。男という存在にかんして身体性が紐づくかぎり、その価値が乏しいこと。自分の身体からは「これまでの自分の生まれ育ち」といった連続性が、自分が語らずとも非言語的なメッセージとして、周囲に放出されそれを抑えることはできないこと。

 VR空間にあつまる「Kawaii(かわいい)」おじさんたちは、そんな自己の身体性という前提条件からは自由な空間で、自分の精神を表現することができる。現実社会の数々のアンフェアを盛りこんで雁字搦(がんじがら)めになった肉体を捨て、フェアな精神性の世界へと移行するのだ。」

 

  こうした自己の身体性からの解放がもたらすものの一つとして、「harmless(無害である)」という興味深い要素を提示する。

「美少女おじさんたちが目指しているKawaiiの姿とは、たんに『cute:キュート、外見的な可愛らしさがある』ということだけではない。

 『cute』であることはもちろんだが、なにより『harmless(無害である)』という地平への道である。おじさんであるというだけで、他者に不愉快な気持ちを、あるいは被害を与えるかもしれないという不安感を振りまいてしまいかねない、その実体にこびりついた『意に反する暴力性』を清拭するための試みである」。

 

 興味深い観点だが、個人的見解としては、「おじさんである」といった部分や成人男性の「有害性」、「harmless(無害である)」といった要素にまで踏み込まずとも、単に「社会的コンテクストから切り離された無垢な存在として存在することが許されるから」、と説明すれば足りるように思われる。なぜなら、テラケイ氏が指摘した通り、肉体の持つ社会的な情報そのものが既に配信者・視聴者の両方にとっていとわしいものであり、それは男女問わないものだと考えるからだ*6。さらに私見を述べれば、美少女等のVRアバターを人々が利用する理由は、社会的コンテクストからの解放という願いにとどまるものではない。それはある種の「聖なるもの」あるいは「神聖さ」への自身の仮託であって、より積極的な行為として把握されるべきものである。アニメやマンガのキャラクターにはしばしば性的な、あるいは道徳的な清らかさが求められるが、ここにいう「聖なるもの」あるいは「神聖さ」は、それに近いかもしくは同一のものである。そして、それはキャラクター等に「聖なるもの」を見出す文化でしか生まれないものであり*7、そういう意味では、VRアバターの利用がより一般的なものとなったとしても、たとえば海外の実況者など、美少女キャラクター等にそうした神聖さを見出さない人(=そうした文化を内面化していない人)は、これを積極的に利用しようとはしないだろう。こうした観点からすれば、VRアバター等の利用という面においては、後述の「精神の解放」は、比較的ローカルな革命となる可能性がある。

 ただ、この見解については、まだそれほど考察できていないので、これ以上詳論しない。

 

 さて、テラケイ氏はこうしたVR技術によって「精神の解放」という革命的な事象が生じようとしているとする。

「内なる美少女の再発見は、そのコンテクストによって埋もれた、文脈に縛られない精神の姿を投影する。自分がもし、いまの肉体と違っていたら、どうしただろうか。可愛い少女の姿として人生を過ごせていたら、どうしただろうか。肉体が伝える社会的文脈を前提にしてはけっして考えようもしなかった、「精神の解放」が、いままさに起きようとしているのだ」。

 

 しかし、私の推測するところによれば、そんな理想のカワイイに基づく「精神の解放」は、すでにマンガやイラストの創作行為という形で表出されてきたように思われる*8。少なくとも私が絵を描くモチベーションは、私の持つ社会的文脈から解放された「ぼくのかんがえた究極ウルトラKawaii美少女」、つまり自分の信じる「Kawaii」を絵という形で顕現させたいという欲望に、少なくとも部分的に支えられている*9。そして、そうした心理の認識は、マンガやイラストを描くような人間にはある程度共有されつつも、そのことが改めて宣言されたことはあまりなかったのではないかと推測する。つまり、ここにいう「内なる美少女」としての自分の表出はこれまでも目に見えないところでずっとなされてきたのであって、そうした活動がVtuberの登場によって可視化されただけではないか*10

 もちろんこれは推測のうえでの話だし、もっといえばテラケイ氏の主張の根幹部分を揺るがすような問題でもない。ただ、仮に上記の見方が正しいとすれば、Vtuber(あるいはVRアバター利用の隆盛)というムーブメントの意義は、むしろ「『精神の解放』が、いままさに起きようとしている」点に求められるのではなく、これまでほとんどの人が気づいていなかった「精神の解放」の在り方のひとつをわかりやすく提示した点、そして、従来のものより利用コストが低いアプローチである点*11に求められるのではないか*12

 

余談

 ところで、私が知りたかったこと(この記事を購入した理由といってもよい)のひとつに、なぜ「女の子の『Kawaii(かわいい)』」でなくてはならないのか、というものがある。もし私がVtuberをやるなら、アバターは「Kawaii」女の子を選び、声は音声認識+自動読み上げ(女性ボイスロイド)で対応するだろう。しかし、我々の肉体を代替するもの(絵でもアバターでも)として、なぜ「Kakkoii(かっこいい)」が選ばれないのか*13。あるいは、なぜ「動物等の『Kawaii』非人間キャラクター」が選ばれないのか*14。つまり、イケメンキャラクターやネコちゃんワンちゃんのアバターに「男性の有害性」に類するような忌避要素があるようにも思われないが、それが選ばれないのはなぜなのだろうか。テラケイ氏の記事にこうした点に関する言及はない(もちろんテラケイ氏がこの問題に言及しなくてはならない理由はない。個人的な問いに答えてないからといってケチをつけるのはあまり好ましい態度であるように思われない。ただ、私見の観点からは、女性キャラクターの方が男性キャラクターや動物キャラクターよりもいっそう「神聖なもの」とみなされているからではないか、と推測する*15)。

 また、ひとつ気になるのは、海外の実況では顔出し配信こそ人気があるということである。このことは、「自己の身体性」のネガティブな側面に関する指摘が、日本を中心としたローカルな範囲にとどまるものであることを示しているかもしれない(これは、さきに述べた「聖なるもの」云々の話とも関わる点である)。

 


✈【世界のゲーム生放送事情】ゆっくりのSteamひみつ探偵団7

(このさきれむ氏のこの動画では、海外のゲーム実況者の実況風景をいくつか見ることができる。なお、このさきれむ氏はTwitchについて、「ここの日本人配信者も、FPSLOLなど海外で人気のゲームを扱う人が多く」「また、海外の配信者のように、顔出し配信の割合が多いのも特徴ですね」と述べている(開始後1分55秒あたり))。

 

 さて、あまりまとまってないし、自分の立場に引きつけて文章を書きすぎた感があるのだけれど、時間が圧倒的にオーバーしてるのでこのへんで終わる。なお、本記事はもともとテラケイ氏のnote公開後(2018年4月6日)に書き始めたものなのだが、2018年4月9日にテラケイ氏の記事に追記がなされた。VRアバターと「ロールプレイ」の差異について検討されており、興味深い(私も男性キャラなど使う気にならない側の人間だし、女の子のキャラメイクには5時間くらいかけるタイプの人間である。最近のFPSゲームでは自分でエンブレムやアバターを作成できたりするのだが、ゲームで銃を撃ってる時間よりエンブレムを作っている時間のほうが長かったりする)。上述したイラストレーションの話もこの観点からある程度までは語りうるような気もするが、よくわからない。ただ、実況という行為特有の性質に、この問題の重要な部分が含まれている、とは考えている。

 ちなみにこのポストが1年ぶりの更新だったりする。まぁメモ帳だしね?

 あとぼくはVtuberの中では鳩羽つぐちゃんがすきです。Kawaii

 


#0 鳩羽つぐです

 

鳩羽つぐ (@HatobaTsugu) | Twitter

*1:大学院では引用は正確に長く誠実に行え、と厳しく指導されたので……。

記事の引用につき、テラケイ氏から回答をいただいた。

https://twitter.com/terrakei07/status/984380707597271040

*2:合成音声ソフトを利用したゆっくり実況やボイスロイド実況、字幕のみの実況など、肉体を経由しない方法がないわけではない。ただ、そうした動画における実況はキャラクター同士の掛け合いなどをメインとするものが多く、ライブ性にはやや欠ける。

*3:なるほど確かに、VRアバターを利用する某実況者(名は伏せる)は深夜の生放送の中で、自分の声が気に入らないから生声配信を行わないのだ、と述べていたように記憶している。

*4:とはいえ、ねこます先生(敬意を表して「先生」と呼びたい)のように、むしろ現実の生々しさがブレイクに寄与したように思われるケースもある。

*5:こうした特性がいずれにとって都合の良いものであったか、それは文章上明示されていない。しかし、文脈および「インターネットに親しんだ人びとにとっては心地よいものだったことだろう」という文言から、配信者・視聴者の両方を指しているものと解する。ただし、本文で後述するが、それを快適と感じるのはローカルな範囲の人々にすぎない可能性はある。

*6:成人男性の有害性といった点にまで踏み込まず、本文のように解すれば、女性Vtuberや若い男の子のVtuberの存在を射程に収めた統一的な説明を与えることができるのではないかと思われる。とはいえ、私の見解が正しいのだとしても、それでも「男性(とくに中年男性)の持つ社会的情報の方がいっそういとわしいのだ」とする見方はありうる(ただし、そうした見方をとる実践的意味は何か、が問われることになるかもしれない)。聞くところによると、(本当かどうかは知らないが)女性の生声実況などは人気が出やすいそうだ。なお、もちろんこうした社会的な情報が逆に価値を持つ場合があり、たとえば声優等の有名人による動画がそうである。なお、こうした点につき、後述の本文も参照。

*7:どこの記事であったか失念してしまったが、海外のサブカルチャーと日本のサブカルチャーの相違について紹介する旨の記事において、主人公だったか彼女だったかが日本のマンガではとうてい許されないようなふるまいをするマンガが海外でヒットしている、というような話があった(超うろ覚え)。ヒロインにある種の潔癖さ、清らかさを求めないような文化を内面化した人は、おそらくここでいう「聖なるもの」の価値を美少女VRアバターに見出すことはないだろう。なお付言しておくと、ここでいう「文化」とは事実の問題であり、また、各人においてそのありよう(受容のされ方)が異なりうるものであることを当然の前提とする。つまり、日本人であっても、アニメやマンガにまったく触れない人であれば、ここにいう「聖なるもの」の価値を美少女アバターに感じない可能性が高い。

*8:もう当該ツイートがどこにあるのかわからないが、そうした旨のツイートをいくつか見た。

*9:それはこの記事において紹介されているのらきゃっと氏のツイートや、ねこます先生の発言にも示されているように思われる。というか、仕事でやっている場合は別として、自分の信じるKawaiiを描き出したい欲望がないのに女の子のイラストを描く人ってあんまり多くないように思う。なおそうした各人の「Kawaii」のあり様は、絵柄や描くキャラクターの性質それ自体によって示されるのであろう。

*10:なお、「内なる美少女」という考え方について疑問がなくもないのだが、ひとまずテラケイ氏の表現に従うこととする。この点については時間もないしあまり考えることも出来ていないので触れない。

*11:ソフト自体はいくらかお金を出せば手に入るし、そのソフトで使うことのできるVRアバターは既にたくさん用意されている。ただし、単なるVRアバターの利用というレベルを超えてVtuberであろうとする場合には話が異なる。結局Vtuberとしてそこそこにやっていくためにはそれなりの話術等のスキルが求められるであろうから、必ずしもすべての人にとって等しく利用コストが安いとは言えまい。比喩的に言えば、イラストであれば、画力の向上という点を重視しない人にとっては、紙とえんぴつと気合さえあれば絵が描けるといえなくもない。しかし、自分の理想とする「Kawaii」を上手に表現したいと思えば、途方もない時間と労力の投資が求められることになる。しばしばVtuberにはイラストレーション以上にコミュニカティヴなコンテンツの提供が期待されている点にも留意。こうした点を強調すれば、「利用コストが低いアプローチ」というよりは、単に「新たなアプローチ」と表現する方が適当かもしれない。

*12:もっとも、「精神の解放」とはそうした意味も含めての表現である、という理解もありうる。

*13:男性にとってカッコいいことは社会的に評価される要素でもあるし、バーチャルの世界で男性がカッコいいアバターを利用することはむしろ自然なことであるようにすら思われる。

*14:私が知らないだけで、世のVtuberのほとんどが実は男性アバターや動物アバターを使っている可能性はないわけではない。ただ、私の観測する範囲では、ほとんどのVtuberが可愛い女の子アバターを利用している。なお、本文に紹介したこのさきれむ氏は、ゲーム実況にテミーくんのアバターを使っている。

*15:あくまで憶測の域を出るものではないが、個人的見解としては、「女性キャラクター」という属性に付加価値があるのではないかと考えている。なお、念のため述べておくが、「女性キャラクター」に一定の価値があるという言明は「現実の女性」に価値があるという言明とは異なるし、「男性は女性よりも価値が低い」という言明とも異なる。「抽象化されたキャラクターとしての女性」に価値があるとする趣旨である。