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arbor_vitae

留年院生。絵描いてます。LGBT調べてます。憲法やってました(過去形)。ここはメモ帳です。

【読書】トップクラスになるための練習法ーーアンダース・エリクソンほか『超一流になるのは才能か努力か?』

 1999年公開の映画『マトリックス』の主人公ネオ(キアヌ・リーブスが演じていた)は、コンピュータの支配する仮想世界マトリックスの中で自分自身にカンフーの技術を「インストール」して戦っていた*1。ボタン一つでカンフー・スキル習得というライトノベル級のお手軽仕様である。幸か不幸か、現世はマトリックスではないので、ワンタッチでチートキャラになれる科学技術は存在しない。我々がカンフー・マスターになるには地道に練習するしかないのだ。

 だが、カンフー・マスターにはなりたいが、そのための練習はしたくないと考えるのが人間である。そうなると、効果的な練習、つまりできるだけコストのかからない練習は何か?という点に目が行くことになる。

 というわけで手に取ったのが本書である(本書の著者、アンダース・エリクソンは心理学者)。

 

超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?

 

(この手の本にはビミョーな邦題がつけられることが多いが、本書もその例に漏れない)。

 

 さっそく夢を打ち砕く話をすると、「てっとり速く上達する方法はない」(kinde版No.3985)。嫌な話を聞いた。とはいえ、有効な練習と有効でない練習というものはもちろんある。エリクソンいわく、「さまざまな練習法の中で最も効果が高いのは限界的練習である」(同)。では限界的練習(deliberate practice)とは何か?

 限界的練習は、「学習者を『そこそこ上手』ではなく、それぞれの分野で世界トップクラスにするという明確な意図を持って開発された方法論」である(No.304)。大雑把にいって、限界的練習には次のような特徴がある*2

  1. 【教師がいる】練習カリキュラムを組み立てる優れた教師がいる。
  2. 【練習課題は少し難しい】常にコンフォート・ゾーン(=楽にできること)の少し外側、つまり現在の能力をわずかに上回る課題に挑戦しつづけることを求める。限界に近い努力が求められるので、一般的に楽しくはない。
  3. 【具体的目標がある】限界的練習には明確に定義された具体的目標がある。
  4. 【集中力が必要】学習者には、全神経を集中し、意識的に取り組むことが求められる。
  5. 【フィードバックを参考にできる】フィードバックと、それに対応した取組み方への修正が必要である。
  6. 【心的イメージとの相互影響】限界的練習は有効な心的イメージ*3*4(「脳が今考えているモノ、概念、一連の情報など具体的あるいは抽象的な対象に対応する心的構造のこと」(No. 1353)。我々が何も考えずペンを持てるのも、いま文章を左から右へ、そして下側へ読んでいるのも、すべて心的イメージの産物である)を生み出すとともに、それに影響を受ける。
  7. 【地道な改善】すでに習得した技能の特定の側面に集中し、それを向上させることでさらなる改善や修正を加えていくことが多い。時間をかけて一歩ずつ改善していくことになる。

 では、なぜこうした特徴を持つ練習(=限界的練習)は強力なのか?ここが面白いのだが、エリクソンは、限界的練習が「ホメオスタシス」という人間の能力に噛み合っているからだとする。ホメオスタシスとは、一定の環境の変化を受けた人間の身体が、生理状態などを一定範囲内に調整し、恒常性を保とうとする働きのことだ。そして、限界的練習によって激しい負荷がかかった身体は、その状況に適応するために変化していく。

 

身体システム(特定の筋肉、心臓血管システムなど)にホメオスタシスを維持できないほどの負荷がかかると、身体はそれに反応してホメオスタシスを新たに確立することを目的とする変化を生み出す。たとえばあなたが有酸素運動のプログラムを始めるとしよう。心拍数を最大心拍数の70%という推奨されている水準(若者の場合毎分140回を少し上回る程度)に維持しながら週3回、30分ずつジョギングをするのだ。このような運動を続けていると身体に起きる変化の一つが、足の筋肉に酸素を供給する毛細血管の中の酸素レベルの低下である。身体はそれに反応して、足の筋細胞への酸素供給を増やすために新たな毛細血管を増やし、再び細胞をコンフォート・ゾーン〔=楽な状態〕に戻そうとする(No.993。強調および〔〕は引用者)。

 

 つまり、激しい訓練がホメオスタシスにあらがった結果、その負荷に適応するために肉体や脳それ自体が「作り変えられる」というわけだ*5*6

  さて、この限界的練習であるが、どうみても難しすぎる。普通の人にはまず無理だ*7。まず大抵の場合、我々が学びたいと思う分野の先生につくこと自体が難しい*8。そもそもどの先生が一流なのかもわからないのに、一流の人間を見つけて教えを請えといわれても困る。無理ゲーとしか言いようがないのではないか?

 この点につき、エリクソンは、「あなたの専門分野が厳密な意味での限界的練習にそぐわないものであっても、できるだけ効果的な練習方法を考える指針として限界的練習の原則を使うことは可能だ」(No. 2068)と述べている。たとえば、教師役がいないとしても、エキスパートが本やインタビューで語っているアドバイスを参考にすることはできる。シナリオライターのように、ある人物がエキスパートであるか否かを客観的に判断することが難しい場合には、同業者(他のシナリオライター)からの評価を調べるという手もなくはない。その分野に造詣の深い人に尋ねるという手もある。もしエキスパートを見つけることに成功したならば、(簡単なことではないが)「次のステップは彼らのパフォーマンスは具体的にどこがその他大勢と違うのか、彼らがその域に達するのに役立った訓練方法がどのようなものかを突き止めること」である(No. 2181)。何がエキスパートをエキスパート足らしめているのか、それを考える必要がある。

 いや結局難しすぎるだろうという気はするが、まぁできなくはないかもしれない。いまはインターネットの時代。自分の制作物の制作プロセスを公開しているクリエイターは多い。TwitterなどのSNSを通じて練習方法などを尋ねてみるのもよいだろう。まーなんですか、「先生の作品に感動しました!僕も先生のようになりたいです!先生はどんな練習をしてきたんですか!?」とか聞いてみれば教えてくれるんじゃないですか。ブロックされるかもしれないけど。

*1:と思うんだけどなにぶん見たのが随分と昔なので違うかもしれない。

*2:詳細はNo.2017以下参照。なお、エリクソンは、自身の研究結果を通して、「分野を問わず、技能を向上するための最も有効な方法は例外なく、同じ一般原則を満たしている」と書いている(Kindle版No. 273)。

*3:心的イメージという概念は、学問であれ芸術であれ、何かしらのスキルの訓練を続けた人間には理解しやすいのではないかと思う。たとえば法律学をずっと学んできた人は、法的問題に出会ったとき、適切な条文と適切な解釈を即座に呼び出せるようになる。なぜそのようなことができるのかと問われても、説得的な説明はできない(できるからできるとしかいえない)。あれ、そう、あれです。

*4:なお、エリクソンは、「限界的練習の大部分はその活動に役立つ有効な心的イメージを作り上げていくためのものだ」と述べている(No. 1353)。

*5:なお、こうした訓練が脳に及ぼす影響は若い頃の方が大きい点、認知的・身体的変化はメンテナンスしなければ消失してしまう点、長期間にわたる訓点によって脳の一部を強化すると何らかの別の能力が低下する場合があるという点もなかなか興味深い(この点につき、No. 1111以下参照)。

*6:エリクソンはここで多くの研究を引用しているが、紹介すると煩雑になるので、気になる方は書籍の方を読んでほしい。なお、私はそれらの論文までは参照していない(論文を引用して自説を権威づけるケースでたまに見られるが、根拠となっている論文自体が薄っぺらく説得力に乏しかったり、あるいは論文の主張の射程を超えた見解を引き出していたりするケースがある)。もちろん本書がそういう引用をしていると言っているわけではない。

*7:本書は「普通の人」ももちろん念頭において書かれているし、うまくいった人たちの話もされてはいるのだが。

*8:たいていの人には、個人指導をしてくれる(=学習者に合ったカリキュラムを組み、適切なフィードバックをくれる)先生に教えてもらうための時間もお金も意欲もない。そして、そういう先生が近場で教えているとは限らない。