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留年院生。絵描いてます。LGBT調べてます。憲法やってました(過去形)。ここはメモ帳です。

【読書】少女と廃墟ーーつくみず『少女終末旅行』

 人間というのは不思議なもので、生きた住居にではなく、朽ちた廃墟にこそ美を見出すことがある。

 

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

 

 

 つくみず『少女終末旅行』は、文明が崩壊して廃墟と化した街を、楽観的なユーリとちょっぴり神経質なチトが履帯式の3人乗りオートバイケッテンクラート)に乗ってあてもなく進みつづける物語だ。

 文明が滅んだ理由は作中では明らかにされない*1。主人公たる少女たちは、廃墟と化した都市を、ひたすら食糧を補給しながら進むだけである。文明崩壊の理由を探るとか、生き残りを探すとか、そういうご立派な目的や価値や理由などはいっさい出てこない*2。だからこそ、文明崩壊後の世界で生きるために食糧を探し続ける物語が重くならないし、廃墟描写の重厚さと力強さが強調されてくる。この少女と廃墟とのコントラストの美しさ、そして後述する微妙な調和が、『少女終末旅行』を面白く、かつ独特の雰囲気に満ちた作品にしている。

 すこし、抽象的な話になるが、少女と廃墟の話にフォーカスしてみよう。少女、つまり廃墟を進むユーリとチトの姿は決して悲壮感に満ちてはいない。彼女たちの楽しげなやり取りによって、本作はむしろ日常系作品のようなあたたかな(あるいは微温の)情感をたたえており、単純に日常系作品としても楽しめる作品になっている。そういう意味で、本作には日常系作品の持つあの空虚感が漂っているし、あるいは、本作は、ユーリとチトという2人の少女の単なる「旅行風景」でしかないといってもよい*3

 

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つくみず『少女終末旅行 第2巻』(新潮社、2015年、電子書籍版同年)50-51頁。kindle版 No.165中53。

 

 他方、そうしたゆるやかな物語に対して、廃墟は力強く蠱惑的に描かれる。本作の廃墟は単なる背景(あるいは余白を埋めるもの)ではなく、それ自体が作品を構成するうえで重要な役割を担う。

 

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つくみず『少女終末旅行 第2巻』(新潮社、2015年、電子書籍版同年)46-47頁。kindle版 No.165中49。

 

 本作の廃墟は強烈な遠近感と構図による力強さを持ちつつも、定規を使ったようなまっすぐな線ではなく、むしろ手書きのでこぼことした線で描かれており、廃墟に有機的な情感を生みだしている(方向性は違うけれど、あずまきよひこよつばと!』の背景、その線が連想される)。この有機的な情感は、ユーリとチトの有機性(あるいは日常感)と結合し、廃墟と少女という取り合わせに必然性と調和を与えている。そして同時に、廃墟の力強さは、けして力強い存在ではない2人の少女との関係で強烈なコントラストをもたらす。少女と廃墟との結合(あるいは調和)とコントラストが同時に成立していることで、作品全体に美しさと面白さが与えられる。

 『少女終末旅行』の面白さが少女と廃墟との強烈なコントラストと微妙な有機的結合の上に成立しているのだとすると、廃墟を単純で無機質な直線で描いてしまうと、本作はとたんにつまらないものになってしまうだろう*4。もし廃墟がきっちりかっちりとした線で描かれると、おそらく廃墟は少女たちとの調和を失い、単なる背景に変わってしまう。単なる背景としての廃墟は、物語に完全に埋没するか、あるいは少女たちの物語を圧倒してしまうだろう。その意味で、本作は非常にバランスのいい絵なのだが、他方で、そうした精緻な廃墟が見たい人には勧めにくい絵でもある。

 さて、抽象的な感想をつらつらと書いてきたが、『少女終末旅行』は何も考えず少女のかけあいと廃墟とを見ているだけで十分に面白い作品である。愛車にして命綱のケッテンクラートが故障した際、懸命に修理するチトにユーリが言い放った「もっと絶望と仲よくなろうよ」という言葉*5は、まさに本作の空気感を表現している。あなたがこうした空気感に馴染めそうな読者であるならば、間違いなくあなたにとって『少女終末旅行』は良作となるだろう。

 ところで、こういうものを書いておいてなんだが、実は3巻を読むのがもったいなくてまだ2巻までしか読んでいなかったりする(2016年10月時点で最新刊は3巻。もうすぐ4巻が出る)。そういうわけで、ここに残されるのはとりあえず2巻まで読んだ時点での感想であり、3巻以降を読むと感想も変わるかもしれない。 

*1:ただし第2話で爆撃機やヘリコプター、戦車の残骸が描かれており、文明崩壊の理由を暗示している。文明崩壊時期は必ずしも明らかでないが、本作の舞台である多層構造都市や多脚戦車(第13話)の存在からいって、崩壊前は相当な文明度を有していたようだ。また、第9話で描写されたカメラ内の日付表示によれば、物語は9話時点で西暦3230年8月6日である。なお、第3巻末尾の「チトとユーリの旅の携行品図解」を見る限り、このカメラが生産されたのは技術力の高さから言って少なくとも現代ではないが、かといって物語の直近の時期でもないといえよう。また、第8話冒頭のカナザワの言葉からは、少なくとも100年前、つまり3130年には既に文明が崩壊していたことが推測される。

*2:むしろ、第6話冒頭の2人のかけあいを見る限り、そうした問題は積極的に排除されているのかもしれない。ただし、近代的な思惟、あるいは合理的知性の持ち主として、地図描きのカナザワ、飛行機を作るイシイなどがゲスト的に登場している。が、彼らの存在はむしろ作品がダレるのを防ぐのに寄与しているように思われる

*3:その軽さからして、タイトルを「週末旅行」とかけているのかも。

*4:少なくとも部分的には。なお、そうした無機質な廃墟はそれはそれで美しい。ここで言っているのは、そうした廃墟は『少女終末旅行』のユーリとチトには似合わないだろう、という程度の意味である。

*5:第2巻102頁。