arbor_vitae

留年院生。絵描いてます。LGBT調べてます。憲法やってました(過去形)。ここはメモ帳です。

【絵画】絵の練習に関するメモ(1)絵の初心者が「模写」を練習方法に選ぶことの意味は?

 模写は、絵を描き始めた人が最初に手を出す練習法の1つでしょう。以下は、最初期の段階で模写という練習方法を選択するメリットに関する(思いつきの雑駁な)メモです。

 

(1)模写はフィードバックを得やすい

 『究極の鍛錬』の著者、ジョフ・コルヴァンは、「結果に関し役に立つフィードバックのない訓練は価値がない」kindle版 No. 2673)と述べています。絵の練習について考えてみると、1人でオリジナル絵を描く行為は、そうしたフィードバックを得るのが非常に難しい行為であるといえます。なぜなら、多くの場合、デッサンの崩れなどのミスを指摘してくれる先生がいないからです。他方、模写では、お手本をもとに絵を描くわけですから、「どれだけうまくお手本を描き写せたか」を練習後に評価することができます。いってみれば、問題を解いた直後に採点をすることができるわけです。どこが上手く描けなかったか、次に描くときはどうしたらいいのか、模写ならばそういったフィードバックを簡単に得られるのです。

 また、模写では、フィードバックを即時に得ることもできます。私たちが模写をするとき、「間違った線」を引いたと思ったら、すぐに消しゴムで線を消して、新しい線を描きます。これは、フィードバックを獲得してすぐに修正を行う作業を繰り返しているともいえます(フィードバック・ループ)。

 

(2)模写は達成感・上達感を得やすく、モチベーションを維持しやすい

 困ったことに、最初期の絵の練習はあんまり面白くありません(それなりに描いたあとになっても面白いものじゃないですが)。この点につき、『たいていのことは20時間で習得できる』の著者、ジョシュ・カウフマンは、次のとおり述べています。

 スキルを身につけるには時間と努力が必要だが、たいていの人は時間がないし、努力もしたくない。だから「時間ができたら、いつかやってみよう」となる。

 正直言って、テレビを見たり、ネットサーフィンをするほうがずっと楽だ。ほとんどの人がそうするので、やりたいことは夢のままで終わる。

 もう一つ、不愉快な真実がある。たいていのことは上手になるまでおもしろくない。どんなスキルにも、私が “イライラの壁”と呼ぶものがある。まだスキルがおそろしく低く、それが自分でも痛いほどよくわかっている時期だ。しばらくは思うようにいかないことがわかっているのに、何かを始めたいと思うだろうか。(同書kindle版No. 9。強調引用者)

  

 私たちは、成果の上がらない初期の練習で挫折しがちです。しかし、模写では、自分の好きな絵を「見て写す」わけですから、たとえ初心者でも、自分が描きたいと思えるような素敵な絵を簡単に描くことができます。また、これは経験論ですが、模写はすぐに上手くなれます(私の場合、描き始めて10枚目あたりから割と上手に模写できるようになりました)。このことは、やる気を維持するのに非常に効果があるのではないでしょうか。

 

(3)ゲシュタルトの会得に最適である

  練習初期においては、「〇〇をどういう風に描いたらよいのかわからない」という状況にしばしば陥ります。「腕ってどう描くの?」「目ってどんな形なの?」「髪ってどう描けばいいの?」といった具合に。この点、模写という練習方法においては、この「どう描けばいいのか」問題で行き詰まることが少ないです。だって、お手本があるのですから。お手本の通りに描けばいいのです。特定の絵描きさんの絵を何枚も模写していると、その人の「目の描き方」「服の描き方」「髪の描き方」といった要素、いわばゲシュタルト(形態、形状)がなんとなくわかるようになってきます。模写の練習は、こうしたゲシュタルトを獲得するのに非常に役に立つと思います(私も自分の絵を見て、目の描き方はあの人とあの人からもらった、フリルの描き方はあの人の描き方を真似てるな、といったことをよく考えています)。

 

(4)やるべき作業が比較的明確である

  やるべき作業が山のようにあると、どれから手をつけたらいいのかわからなくなってしまうものです。オリジナルの絵を1枚描くためには、構図を考えたり、資料を集めたり、キャラクターの造形を考えたり、アタリをとったりする必要があります。これは心理的負担が大きいうえ、各作業が独立しているため、アタリをとったり構図を考えた時点で投げ出したりしがちです。

 その点、模写ならば、やることは1つだけです。つまり、「目の前にある絵を忠実に描き写す」ということだけ。そして一度描き始めると、顔から胸、そこから肩、腕、といった具合に、次に描くべきポイントが自然にわかるようになっており、完成段階、つまり達成感を得られる段階に到達しやすいのではないかと思います*1

 

(5)必要な道具(教材)が少なくて済む

  まあ単純に、解剖学書とか資料集を買わなくても済むということです。

 

おわりに

 模写の効用について、メタ認知的な観点から色々と考えてみました*2。私自身はこういった利点があると認識して模写をしていますが、もしかしたら他の意見もあるかもしれませんし、私自身の考えが変化するかもしれませんが、まずは、現時点でのメモとして文章化してみました。

*1:また、「片目だけ瞑っている目」とか「背中に手を隠す」という初心者あるあるを回避できるという点、完成していないと「腕だけ無い模写」みたいな奇妙なものになってしまう(だからきちんと完成させたくなる)点も重要でしょう。

*2:コルヴァン・前掲書No. 2642は、訓練におけるメタ認知の重要性を論じています。

【メモ】ジト目の研究――ジト目とは何か、半目との違い、シュレーディンガーのジト目

 ジト目という目つきがあります。こういう目です。

 

f:id:arbor_vitae28:20161210112101p:plain

 

f:id:arbor_vitae28:20161210113132p:plain

上:武月睦『やおろちの巫女さん 第1巻』(講談社、2016年)135頁。下:同111頁。

 

 ユキちゃん本当ため息が出るくらい可愛いですね。ほぼ全ページに渡ってジト目のユキちゃんを崇められる『やおろちの巫女さん』、皆さんも読みましょう。

 

やおろちの巫女さん(1) (ヤンマガKCスペシャル)

やおろちの巫女さん(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

 このままユキちゃんがいかにキュートでアメイジングでファンタスティックであるかを語ってもいいのですが、本稿の趣旨から逸れるのでやめましょう。

 この記事は、筆者が「ジト目ってなんかよくわからんぞ???」と思ったのでそれについてちょっと調べたメモです。「可愛けりゃこまけぇこたぁいいんだよ」という意見もひとつの真理ですが、理論なくして最高のジト目なしでございますぞ。ジト目をさらに深く味わうためにはジト目について学ぶ必要がありましょう。ジト目に敬意を払うとはそういうことではないでしょうか*1

 

1.「ジト目」の定義

 米国の探偵調査会社会長テリー・レンツナーは、何かわかんないことがあったらまずググれと言いました(言ってないかもしれない)。まずは「ジト目」でググるのです。

 「ジト目」の検索結果は約598,000件。まずはトップに来たピクシブ百科事典の定義を確認しましょう。

 

「軽蔑・不審・呆れなどの負の感情を持った時の表情。またはそのときの目の形」

 

 なるほど。ここでジト目とは「負の感情を持ったときの表情」だとされています*2。しかし、ユキちゃんの2枚目の画像からもわかるように、笑顔のジト目、つまり負の感情を持たないジト目もありうるのではないでしょうか?少し考えてみましょう。

 

2.負の感情を持たないジト目ってありうるの?

 この点につき、ピクシブ百科事典は「ジト目の定義について」という項目で次の通り述べています。

 

この記事ではジト目を「負の感情を持っている」事が前提として記述しているが、時としてその認識の食い違いによって口論が起きる事もある。
「半目=ジト目」程度の認識で使っている人もいれば、「負の感情がなければいけない」と考えている人もいる。
pixivでは、イラストを描いた作者がジト目だと言っていれば、(ジト目のタグを付けたならば)そのイラストのキャラはジト目だ、という風に思っておけばとりあえず口論は起きないだろう。

 

 最後の「イラストを描いた作者がジト目だと言っていれば、……そのイラストのキャラはジト目だ、という風に思っておけばとりあえず口論は起きない」という対症療法的なコメントがオタクの面倒くささを象徴していますね。それはさておき、この定義を前提とすれば、「ジト目」について、大きく分けて次の2つの立場があるといえそうです。

 

  1. 「半目(=目を半分開いた、あるいはそう見える状態)である」ことに加え、「負の感情を持っている」ことを求める立場(負の感情必要説)
  2. 「半目であ」りさえすればよいとする立場(負の感情不要説)

 

 先のユキちゃんの「だーーめっ」は負の感情不要説からいえばジト目だといえるでしょう。しかし、負の感情必要説からいえばジト目ではないということになるでしょう。笑顔なんですから。

 この見解の分裂は単なる定義の決め方の問題にすぎないのかもしれません。また、そもそも定義など存在しないところに定義に関する2つの説を無理やり立てただけといえなくもありません。であるならば、いずれの説が正しいか論ずるのは表面的には意味がないことでしょう。「イラストを描いた作者がジト目だと言っていれば、……そのイラストのキャラはジト目」なのだということにしておけばみんなハッピーなのです*3問題棚上げともいいますが

 

3.おまけ:シュレーディンガーのジト目――「ジト目」であるか否かは見ただけではわからない!

 簡単な調査としては(飽きたので)ここで終わりにしますが、ちょっとややこしい話を思いついたのでメモしておきます(まとまってないですが)。

 先ほど、負の感情必要説と負の感情不要説とがあるといいました。ここで面白いのは、負の感情必要説においては、ある半目が「ジト目」であるか否かを判断するためには、その半目が登場するコンテクスト(文脈・状況)に関する知識が不可欠であるということです。つまり、そのキャラクターが「どんな気持ちで半目になっているのか」を知らねばならないということです。

 ところで、1枚目のユキちゃんの画像は、実は次のような状況の中で現れた半目でした。

 

f:id:arbor_vitae28:20161210141220p:plain

f:id:arbor_vitae28:20161210141236p:plain

 

 この目は負の感情必要説からしても不要説からしても「ジト目」だといってよいものでしょう。自分の死を「気にしてもしょうがない」などと言われたユキちゃんには負の感情があるでしょうからね。しかし、注意すべきは、この2枚の追加画像がなければ、ユキちゃんがどんな気持ちで半目になっていたかはわからなかったということです。

 つまり、負の感情必要説の立場では、単なる半目のイラストを見ただけではそれが「ジト目」であるか否かを判断できない場合があるのです*4。それは作品を読んでみて初めてわかることなのです。箱に閉じ込められた猫が生きているのか死んでいるのかが箱のフタを開けてみるまでわからないのと同じように、ある半目がジト目であるかそうでないのかは作品を読んでみるまでわからないということです。

 また、負の感情必要説においては「ジト目キャラ」が成立する余地が狭まってしまうことになるかもしれません。というのも、あるキャラクターが常に半目であるからといって、常に負の感情を抱いているとは限らないからです。

 人間の表情の理解はしばしばコンテクストに依存します。ゲーリー・フェイジンは、「描かれた人物の感情を読み取る時は、周囲の状況や背景にも影響される」*5と指摘しています。負の感情必要説からすると、ジト目とは、負の感情をコンテクストから読み取れる際に観察できる瞬間的な現象ということになりましょうか。それは単なる半目とは全く異なるものです。 

 ところで、負の感情不要説、つまり「半目=ジト目」という理解には疑問があります。すなわち、「ジト目とは本当に単なる半目の言い換えにすぎないのか?」という疑問です。たとえば、寝起きでボーっとしている顔を考えてみましょう。

 

f:id:arbor_vitae28:20161210142932p:plain

ヒジキ『あやかしこ 第1巻』(KADOKAWA、2015年)第2話。 

 

 これをジト目と呼ぶ人は少数派でしょう。もしこういった半目をジト目と呼ばないとすれば、ジト目とは単なる「半目」ではないということになるでしょう。少なくとも、全く同一の言葉であるとはいえません(そもそも全く同じであるならばジト目と言い換える意味がありません)。また、仮にこの絵の台詞等を消して「親に怒られて泣いている女の子の絵です」と紹介したならば、この絵をジト目と解釈する人も増えるかもしれません。

 もちろん、以上の議論は必要説vs不要説という大雑把で単純な二分論を前提とするものです。ピクシブ百科事典の記述が示唆するように、実際のところ、ジト目に関する大方の理解は、この中間的なところにあるでしょう。

 今のところの僕の結論は、ジト目の解釈においてコンテクストを完全に無視することはできない、という程度のものですね。いや、要はよくわからないということですが。あと、いくらメモとはいえ上の議論もまとまりがないですね……

 

4.ジト目の定義とかどうでもよくね?←確かにどうでもいい。でも考える価値はあるかもしれない。

 ジト目とは何であるかということを究明することは、すなわちジト目の必要条件、あるいはジト目の本質を究明するということです。ジト目とは何であるかが明らかになれば、創作活動においてジト目を表現することが容易になるかもしれません

 仮に、ジト目とは「負の感情を伴った半目」であるとしましょう(負の感情必要説)。そうであるとすると、ただ半目に描いただけではジト目にならないということになります。ゆえに、ジト目キャラを描くためには、コンテクストを与える記号、たとえばつり上がった眉(怒りを表す)を描き足すといったことが必要になります。

 また、ジト目の定義の研究は、ジト目っぷりを強調する手法の選び方の参考になるかもしれません。ジト目キャラには鬱々とした効果線を選んだほうがいい、とかね。

 こういった調査は、結果を報告すると「当たり前のことだろ」と言われがちですが、それがなぜ当たり前なのか考えること、つまり漠然と共有されている印象を文章化する行為には意味があるように思います*6

 まぁこういう高邁な発想はあとづけで、実際のところ単に気になったから調べただけなんですけどね。

 

(追記2017年1月30日)いろいろ書きましたが、定義から迫るアプローチがどれだけ有効であるか、という点には疑問がなくもないです。結局、人々がジト目についてどう考えているのか、という社会学的なアプローチの方が有効かなぁ(調べようがないけど)と思っています。書いてすぐの時点でそう考えていましたが、完全に追記するのを忘れてました。

 

参考:

ジト目 (じとめ)とは【ピクシブ百科事典】

ジト目とは (ジトメとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

ジト目の同義語 - 類語辞典(シソーラス)

ジト目/ ジト眼/ 同人用語の基礎知識

 

*1:といいつつ筆者にはとくにジト目に対する基礎理論の構想はないので、誰かより詳しく研究してください。まーそのなんだ、現象学とか役に立つんじゃないですか、知らんけど。

*2:他のネット上の定義も似たり寄ったり。当たり前だが国語辞典に「ジト目」の定義は載っていなかった。ちなみに、ジト目についての研究論文があるかもしれないと思ってグーグルスカラーでも検索してみた。「神経心理学におけるポジトロンCT の有用性 最近の話題」。うん、これは違うな。たぶん本格的な研究は無い気がしますけど、詳しく調べたわけではないのでちょっとわかりません。

*3:なお、ピクシブ百科事典の「ジト目の種類」の項目は、負の感情を有していない場合の表情についてもジト目と呼ばれることがあるとして、いくつか例を挙げています。

*4:「場合がある」と限定的に言ったのは、本文で後述するように、つり上がった眉や涙といった記号でコンテクストを付与することが可能なケースがあるからです。ジト目であるか否かの判断が困難なケースとは、1枚目、135頁のユキちゃんの顔のように、あいまいな表情を浮かべているケースです(2枚目の「だーーめっ」を見た後に見ると、笑っているようにもみえませんか?)。ゲーリー・フェイジンは、「状況にもっとも影響を受けやすい顔は、あいまいな表情を浮かべたもの、あるいはごくわずかな表情しか浮かべていない顔である。そのような場合はむしろ、顔で起こっていることを見ない方がそこに託されたメッセージを読み取りやすくなる」と述べています(ゲーリー・フェイジン(みつじまちこ訳)『表情―顔の微妙な表情を描く―』(マール社、2005年)13-14頁)。関連して、いわゆるジト目キャラは感情を表に出さないことが多いという点にも留意すべきですね。

*5:ゲーリー・フェイジン(みつじまちこ訳)『表情―顔の微妙な表情を描く―』(マール社、2005年)13頁。

*6:たとえば、躍動感のある絵には迫力があると言われますが、躍動感があればなぜ迫力が出るのか、その機序をきちんと説明できる人はいるのでしょうか。「こう描くと可愛さが強調される」とか「この構図で描けば力強さが出る」といった話についても全て同様のことがいえるでしょう。

【読書】大切な練習から逃げない気持ちの作り方ーーエリック・ベルトランド・ラーセン『ダントツになりたいなら、「たったひとつの確実な技術」を教えよう』

 ある技術についてプロ並の技術を身につけるには1万時間の練習が必要だという。毎日欠かさず1時間練習しておよそ27年という途方もない練習量である。

 我々はたいてい、ある技術を身に着けようと思って練習を始めても、100時間もしないうちにあっさり練習をやめてしまうものだ。下手なピアノで騒音問題を生じさせるよりは、ソファに寝そべってテレビを見ている方が楽しいのは間違いない。で、結局ピアノは埃をかぶって書類置き場に変化するわけである。

 では、我々がつまらない練習から逃げ出さず、大きな成果を達成するための地道な努力を続けるにはどうすればよいのだろうか?ネットサーフィンをやめて参考書を開くにはどうすればよいのだろうか?著者であるラーセンは、「メンタルトレーニング」がそれを解決するという。本書はラーセンの開発したメンタルトレーニング法を集約したものである。本書は練習方法について論じる本ではない。「練習する気になるための方法」について論じる本である。

 

ダントツになりたいなら、「たったひとつの

ダントツになりたいなら、「たったひとつの

 

 

 ラーセンはノルウェー国防軍空挺部隊出身の元エリート軍人であり、いまではノルウェー有数のメンタルコーチだ。ラーセンは、オリンピック金メダリストへのコンサルティングマイクロソフト等での講演を行う「勝者」と評すべき人間だが、しかし、彼は生まれつき成功を約束された人間だったというわけではないようだ。たとえば、こんなエピソードがある。

 

小・中・高校時代は、身体が小さく、いつも仲間はずれだった。サッカーチームの試合でも、最後の最後までベンチで待機していた。……ノルウェー士官学校の入隊試験を受ける前に、学校側から、お前には無理だと告げられていた。高校時代、威勢のいい同級生には、小柄でひ弱だと思われていたし、集団になじむのが苦手だった。家族は引越しが多く、何度も転校したので、親友ができなかった。小中学校時代には、いい思い出がほとんどない。方言で話し、クラスで一番背が低く、社交的でもないので、辛かった。

Kindle版No. 147)

 

 では、素晴らしい才能を持って生まれたわけでもないのに、なぜラーセンは卓越した成果を出すことができたのだろうか?

 ラーセンによると、「たぐいまれな結果を出せる人は、……日常の小さな『正しい決断』を下すのが上手なのだ」Kindle版No. 65)。その小さな決断とは、ランチの後にスポーツテクニックの研究をするかそれともテレビを観るかとか、朝パッと起きるか二度寝するかといった、本当に些細なものである。こういった小さな「正しい決断」の積み重ねが、生まれもった能力とは無関係に、将来的に大きな結果となってあらわれるのだ。

 しかし、二度寝するよりはパッと起きて健康的な朝食をとったほうがいいなんてことは誰だってわかってる。無意味にネットサーフィンするよりは本の1冊でも読むほうが身になることなど重々承知だ。知ってるけどネットサーフィンをやめられないのだ*1。そんな我々が小さな「正しい決断」を下せる人間になるためにはどうすればよいのだろうか?

 ラーセンは、メンタルトレーニングこそがその答えであるという。ラーセンによると精神的なフィットネスは単なるスキルに過ぎず、誰でもトレーニングによってメンタルを鍛えることができる。では、我々はどうやってメンタルを鍛えればいい?

 メンタルトレーニングについてラーセンが提示するアイデアの1つが、自分の「価値観」と「欲求」とを正確に知るということだ。ここでいう「価値観」とは、「あらゆることを総合して、あなたにとって一番大切なもの」Kindle版No. 435)のことをいう。それは健康とか、知識、成長や達成感といった要素だ。健康を大切にする人であれば健康的な食事をとろうとするように、価値観は特定の行動を強化してくれる。ここで重要なのは、「価値観」と「夢」とは同じではないということだ。価値観と夢とが両立しないこともありうる。たとえば、「安全・安心」を優先する価値観を持っているにもかかわらず、「起業する」というハイリスクな夢を設定する場合がそうだ。この場合には価値観もしくは夢のいずれかを修正するしかないが、価値観は夢や目標と違って変化しにくい。だから、前もって価値観を考慮に入れて夢や目標を設定することが重要になるのだ。ちなみに、私自身について考えてみると、私は「幸福」(厳密には「美」と「情愛」と「安全」の比重が極めて高められた「幸福」)という価値を重視しているのだが、現状をキープしても全然幸福になれそうな気がしないので、「本当は行きたくない方向に走っているトラックに乗って」いるということになるのかもしれない(Kindle版No. 323)。微妙だ。

 こういったメンタルトレーニングの目的は、我々がコンフォート・ゾーン、つまり「楽に過ごせる空間」から脱却することを目指す点にある。料理人になるためにはカップ麺ばかり作っていてもダメなのだ。そして、コンフォート・ゾーンから脱却することはあらゆる技術の上達にとって決定的な要素だ。ジョフ・コルヴァンがノエル・ティッシーの議論をひきつつ言うように*2、コンフォート・ゾーン(既にできることの領域)とパニック・ゾーン(難しすぎてできないことの領域)の間にあるラーニング・ゾーンでの努力こそが人間を成長させるのである。料理人になりたきゃハンバーグも作れってことだ。そしてハンバーグを作る気分になるためにはどうすればいいかを教えてくれるのが本書というわけである。

 翻って考えてみると、ラーニング・ゾーンの問題は部下や学生に指導する者にとっても重要なことだ。既にできることを訓練させても学生の能力は高まらないし、かといって難しすぎる訓練を与えても学生には対処不可能である。指導者には学生にラーニング・ゾーンでの課題を適切に与え、かつやる気を引き出しつつ、学生のコンフォート・ゾーンを広げていくことが期待されるのである。それは大変な仕事であり、片手間にできるものではなかろう。

 ダントツになりたい人、あるいはダントツになるつもりはないが青年将校ドローゴ*3のように人生を浪費したくはないという人におすすめ*4*5

*1:ネットサーフィンおもしろすぎる。

*2:ジョフ・コルヴァン『究極の鍛錬』Kindle版No. 1568。

*3:ブッツァーティタタール人の砂漠』の主人公。タタール人の襲来に備えて辺境の砦から砂漠を監視する任務についているドローゴが、「もしかしたらいつかタタール人と勇敢に戦う日がやってくるかも?」と期待していつまでも砦に居続け、そのまま人生を棒にふるというどうしようもない話。

*4:ただし、本書が要求する内容は結構ハードルの高いものであり、多くの人にとっては実践の難しいものかもしれない。

*5:なお、監修者である山口真由氏の解説文には少し疑問がある。これについては別に文章を書きたい。